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2007-05-30

15:13

  • コントローラブルな社会を要請しているのはその社会を構成している人々の欲求からなのだろうなと最近とみに感じる。
  • 自殺した大臣を指して「無責任」だと言う人々の「責任」の後に残されているのが、責任を果たして罪を負った人間の社会的な死でしかないのならば、物理的な死を選ぶことは全く不思議ではない。
  • 「贖罪を果たした罪人」に与えられるのが包容ではなくさらなる排除であるのならば、その贖罪を誰のために果たすというのだろうか。もはやその「罪人」のコミュニティ内で残された役割は善なる社会の勝利に奉げる供物くらいでしかないというのに。
  • かつて、加害者の人権を守ろうとする時代が終わって、人の耳目を集めるのは被害者とその周囲の悲嘆極まりない情緒と、その原因への追及へとなった。そして、天変地異ですら、不運として受け入れるものではなく、誰かしらの責任を追及して糾弾するものとなった。
  • 全ての事象には因果がある。それは当然のことだが、その因果はとてつもなく複雑に絡み合った別の事象の積み重ねに因るものだ。
  • だからこそそれを「偶然」と呼ぶ。
  • しかし、被害者の情緒の前にはもはや偶然は許されない。因果が「解明」されなければならない。
  • たとえその因果が出鱈目であっても。
  • あるいは、「偶然」を受け入れさせる超越的な存在が失われたというのが先なのかもしれない。
  • 今でも「ばちが当たる」なんて言葉を聞いて育つ子供はどれくらいいるのだろうか。
  • どのみち、超越的な存在が失われて細分化した因果それぞれが支配関係を生み出して人を律する社会では、また別の超越的な存在が求められていくのだろう。
  • もちろんそれはすでに求められ続けているが。近代化がひたすら続いているこの100年以上にわたり。

MuyMuy 2013/04/01 02:05 This site is like a cslasroom, except I don't hate it. lol

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