Hatena::Groupleftovers

庭には鳩、壁一面に付箋

2007-05-18

ブログ作法

「オレは作家である」と思わない。=「オレの変さが売りになる」と思わない。

「売りになる」という評価基準は自己実現系(?)ブログによってもたらされたものなのだけど、それをそのまま<日記>にインポートして、あたかもキャラクターが「売り」になっていると錯覚しているところで、いろいろもめ事が起きたりするってことかな。

「オレの変さが売りになる」と思うということは、作家的に世界に接するということになるが、それに耐えられる精神はそれほど多くない。

2007-05-14

焚書権焚書しない権

焚書してほしいなぁ、と言われたら「やだよ」と言う権利もあるので、どうでもいいけど。(だから、何で怒るのか、意味がわからん)

著作権という話が混じってるから誤解される…いや誤解じゃないか、怒られるのか。まぁしかしそれなら、「著作権というのはそういうものじゃないよ(経済的な見地から自分の本を燃やしてもらいたいよ、という主張は、著作権の話題とはずれてるよ)」という指摘でいいのでは。

腹が立つ理由は著作権とかじゃないような

vm森博嗣いわく:

  • 本とは媒体を読んでるときの俺の意識の作用
  • だから読まれない本は「ない」のと同じ
  • だから読んだ時点でそれは本を所有したということになりえる

本=文化=歴史、ということにしたい人とは相容れないんじゃないか。その相容れなさが著作権どうこうという形になって噴きだしているという解釈。

いずれ立ち読みは犯罪となる

真意はよくわかんないけど、テクノロジーが発達したらそういうこともあるんじゃないの、という話では。

技術的な制約によって許容されていることは沢山あるだろう。

濃度の高い情報が共有されている場合、完全なコピーでなくてもコピーに相当する行為を行うことができるが、これは人間の想像の自由ということになっている。

  • コンサート報告におけるプレイリスト
  • アイドルをキャラクターに据えた「ドリーム小説」みたいなの

愛があればプレイリストから演奏を復元できる

人の日記のコンサート報告とか読んで思うんだけど、演奏者が大好きで、脳内に音源がある人は、プレイリストを見ただけで、かなりありありとその場の様子を再生できる(行った気になれる)わけです。

これは現在犯罪とは見なされていないけど、それは、言語というボトルネックによって経験の情報の大部分がカットされている、という前提によるもの。

たとえば、そのコンサートを見た人がめちゃくちゃうまい物真似ができたりとか、3DCGでライティング含めたコンサートの様子を再現できたりとか、そういうことで、そこにある許容の壁っていうのは薄くなっていくわけだ。

プレイリストの話がなんで浮かんだか

最近暇あるごとに「SMiLE」のことについて読んで回っていたのだけども、ブートの断片からオレSMiLEを作ってる人というのが、けっこういるらしい。らへんの話から。

もう一つ例

それで思い出した。

技術書を立ち読みして、情報泥棒みたいなことをこっそりやってる人がいる。

そういうのにも、一定量腹は立つんだけど

「どうも同じ会社の同僚らしき3人連れでやってきて、<これ使えそう? どう?>とかその場で内容を吟味してメモろうとしてる」

というのを見たことがある。

これには、一人で情報泥棒してるの見たときの数倍腹が立った。会社で買えよ、という腹立ちとはまたなんか違うところにあるような。

無意識のうちに

情報ソース - 読書 - (ノウハウ伝達のボトルネック) - 職場

という図式が自明のものだと思っていて、その横紙を破るように思えたのかも。

つか、書店で一緒に本を見る、というのがそもそもよくわからん世界ではある。情報交換以外、まともな会話になったためしがない。

2007-05-09

子供の失明という想像力

火のついた煙草を人混みの中で振り回したら子供に当たって子供が失明するかもしれないじゃないですか、もしそうなったらどうするんですか、想像力が欠如してますね、という話題。

「想像力」という言葉を持ち出した時点で屁理屈ロードに乗り上げているのではないかと思う。

昨日書いてたことにも若干関係ありそうな。

タバコヘイターの人が言う「失明」って、耳たぶに白い糸くずがついてたのを引っ張ったらそれが実は視神経で失明しちゃった、的な「失明」じゃないのかと思う。

普通ないけど、想像しだいではあるのかも、あったら怖い、という恐怖感。

もちょっと言うと、ここで欠如している「想像力」とやらが、豊富にあったところで、たいして役に立たないのでは、ということだが。

火のついたものを振り回されると、やだな、とは思うけど。

ある人の行動に「なんか不愉快」みたいな感じがあったとき、それを抑止するのは別種の行動でしかない。おれの抱いた恐怖感を相手が持っていない=想像が共有できていないことが問題なのであって、それを「想像力が欠けている」と言っても詮無い。

(相手の行動に影響を及ぼして変えたいと思うのならば、)想像力とか言わずに行動しよう。

具体的には、

  • 商店街をくわえ煙草で歩いている人を追い越すときに「っちぃ」と頬に手を当てて、火の粉が飛んできたような真似をする
  • 傘を体に直角に「十」字に持って腕ふって歩いている人には、後ろからぶつかる距離にちかづいて、「(カツン)あぁすいません」と当たったふりをする

みたいな。うわーウザい。でもおれはやりますよ、よく。

追記

サザンクロスシティではこういうのは全部「洗脳のための手段」として扱われていたはずだ。

2007-05-06

飲酒運転抑止のために飲酒運転の犠牲者の画像を見せるという発想

免許とるときや、更新時の講習なんかでも使われる。

ひとつの手段の選択としては、もちろんあっていいと思う。

しかし唯一の手段ではない。

「月の満ち欠け」や「星座」みたいなものと交通安全を結びつける呼びかけがある。あぁ…そういえばこの話題でぶち切れしてたbmpさんを思い出したよ…

ああいうのと同じで、結果がすべて。事故や飲酒運転が減るようにちょっと気持ちにフックが出来るなら、それで目的は達成される。

2007-04-26

マクロ定義

  • 呼びにくいものを呼びやすくする
  • 「非モテ」という概念では括りきれないから「非コミュ」という概念を作った

概念を作るのはそれによって語ることがあるからで、それについて語ることが目的ではない、とか誰かの金言でないだろうか。