Hatena::Groupleftovers

庭には鳩、壁一面に付箋

2007-10-18

「梅田望夫」をひっぱたきたい

ユーザがデスクトップで動画や音楽が作れてマスマーケットの果たす役割がほげほげ、という話を読むことが増えた。そりゃまぁ、今ある旧体制が、変化ぐらいはするかも知れない。

でも、完全に無くなるとか、これからはユーザが作ったものを見て刺激を与え合うとか、そういう言い回しを読むと、これはもう、煽りか、何かの立場を代表して言っているとしか思えない。

だいたい、ネタの供給源としてのマスがなかったら、どうやって人に通じるものを作ればいいんだ。

梅田さんが褒めそやすインターネット社会では、これまで社会制度によって制限されていたリソースに、ゼロ距離でアクセスできることから、知識の爆発がおきるものらしい。まぁ確かにそう。

しかしこういう主張を読んで出てくる感想は「そりゃ、あんたはいいよ」だ。

今まで積み上げてきた知識を爆発させればいいだけの人にとっては、これは素晴らしい世界だ。

しかし、インターネットを手にしているのが、小学生だったとき、同じ事ができるのか。何処で何をしたらいいか、途方に暮れてしまうと思うのだけど。

何のきっかけもなしにいきなり、ユーザ同士がバラバラにコミュニケートする世界に放り込まれて、どうやって自分の知識を蓄積させていけばいいのだろうか。

わたしはアニメをほとんど見ないので、ニコ動に上がっている動画が「何を元に」作ったものかわからないことが多い。小学生は、ネットに上げられている膨大な動画の全て(リミックス・自作・そうでないもの含めて)を、そういう感覚で見るんじゃないかと思う。そういうとき、誰が作ったか、元ネタがどこから来たのか、という関心は欠けていく。

テレビが見られなくなり、ユーザの作ったコンテンツ同士でマッシュアップが繰り返されるようになったとして、その循環の中で生まれた世代が、果たして自分もやってみようなんて思うのか。仮にやってみようと思ったときに何を手本にすればいいのか。ニコ動がお手本になってくれる? まさかねぇ。

もっと怖い想像をする。マスが供給に一役買ってきた文化的な共通の基盤が、「なかったこと」にされてしまうかも知れない。全てのリソースがゼロ距離=等距離にある状況では、文化的な発展、あーいや、それが大袈裟なら文化的なモードみたいなものが全く成立しない可能性がある。

仮に手本が見つかって欲望できたとしてだ。「こういう音楽を作りたいんですけど、どういうものを聴いて勉強すればいいですか?」と、先達に質問したとしよう。

返ってくるのは、良心的ながら無責任な答ばかりだ。「とりあえず**は聴いとけ」「**は神」。

そういうのは、相手がある程度、自分と同じリニアな発達をしてきていることを前提にしているから、可能なんだ。自分の歴史に照らし合わせて、自分の過去のある時点で影響を受けたものを挙げればいいだけだから。しかしその前提は崩壊しつつあるかも知れない。相手がどういう成長をしてきたか全く予想ができないときに「おすすめ」なんてできるのだろうか。

(この居心地の悪さは「おすすめ洋楽」や「おすすめミステリ」を教えてほしい、というネットでの質問において、今でも感じることができる。)

関連メモ

  • 「先輩」の崩壊
  • 野田昌宏の「死ね」発言
  • おすすめ洋楽教えてください

追記

なんかサブカルチャーとカルチャーを混同して書いているような気がするな。

追記2

今「**も知らない」人たちは、量的な知識が足りない「ゆとり」として扱われてるけど、それは問題を隠蔽してるだけかもしれないですね。中心のない世界で学んだ人の成長パスが、リニアな道筋を追って成長した自分から見て、全く想像もつかない(一人一人違う)から、「ゆとり」に見えるのかも知れない。

気がついたときには、誰とも言葉が通じなくなってるかもです。

追記3

ちゃんと書き切れてないけど、リミックスがダメで、オリジナルをどんどんつくればいい…ということではない。

成長のパスが不定になると、共通語彙が通じなくなるので、表現の様式が一気に退化するかも? という話。