Hatena::Groupleftovers

庭には鳩、壁一面に付箋

2007-10-25

エンジニア的傲慢さ

人付き合いとは別の面でオレペースなんだろうなと勝手に想像。

あ、すいませんメール見てませんでした、というのは嘘で、見てるけど一旦スルーして後でまとめて処理しようと思ってるとか。いやそれがいけないとは思ってない。むしろ自分もそっちに属する。

2007-10-23

「嘘を書くな」の根拠

ページランクが高いサイトは嘘を書いて毒撒くなっていう言い方があって。

職業倫理的には、まぁそうだろうな、って思うけど、これは怒る範囲が限定されてるよな。怒ってる人のどれくらいがそのへん判って書いてるのか、とちょっと思った。

「知るかよ、向こうが勝手に評価してるだけだろ、オレは初心者向けに細部の厳密さに拘らずゆる~くやっていきたいの!」って開き直ることもできるなぁと。

あーだから、怒りたい人は、組合とかギルドとか作ればいいんだ。

「嘘を書くな」の根拠(2)

再帰的だ / ブログの知名度と自身の能力的・対処力的なあ成長が同期してると良くてじゃないと歪にとかそういう / 過大評価disを動機にするとルサンチマンてきに

スクリプト配布サイトてきなところがblogを書き出すと、ページランクや風評をなんとなく引き継いでしまうということはあるんだなーと思った。

まぁあと、過大評価というのはみんなが評価してるから過大ですみんなって誰、なんだけども。それはgoogle神のランクに依ってしまっているんだけど、仕方がないことなんだろうか。っていうか、そのgoogleの視線の下で序列化されるという仕方のなさを意識して言ってない人もいるんじゃないかな、というか。仕方のなさを意識して書けば、批判も限定的になる。

スクリプト配布→リンク集に登録される→ページランク上がる…みたいなトータルな流れで過大評価ができてるんだろうから、スクリプト配布リンク集サイトとかもdisらないとだよな。

もいっこなんか思いつきそうだったけど忘れた

まえあった、日経ソフトウェアでの見城さんだっけとPerlモンガーの人の対談が、なでまわすような感じでちょっとヤだなと思ったのにもつながるような。もっと有効に使えねぇかなー、どうやったらそういう人を学習のエコシステム…むにゃむにゃ。オレが言うな。勉強します。

あぁ思い出した

「オレはこの正規表現に汎用性がないことがわかるけど、何も知らない人が見たらどうするんですか!」とかいうのが、今回あれこれ言われてる根拠になってるわけだけど。

まず、何も知らない人というのが「煙草を手に持ったまま繁華街を歩いていたら目にあたって失明した子供」といった感じの「たとえ話」である可能性。

ふたつめに、何も知らない人にとってイージーな知識はそこまで悪いか、ということ。

「何も知らない人」のメタ学習を信じてないことにもなる。

2007-10-20

そうとう屈折させて書いたので

これはおれもanotherさんみたいな人にしか通じないと思った。

アホとかボケとかはどんどん言っていいと思うんだけど、「おれがボケと言ったのはおれがこういう出自だからです」とかいうのはしょうもない。

初音*の受容

作り手がどういう気持ちで作ってるかはあんまり興味なくて。

本当に「賞賛」を対価にしてまわってるのだろうか? という疑問。

最初に、作り始めるときの動機がないと、作り始めようとしない。それは何なのか。誉められると嬉しいけど、最初は誉めてもらうためにつくるわけじゃないんだよな。自分を満足させるためにまず作り始めるわけだけど、その動機は何なのか、ということ。

人の声だって楽器ですよという言い方があって、どこかで声を楽器とみなして聴く線みたいなものがある。あるのだがよくわからない。

ルー・リードの声は楽器か、ときかれたら、違うよな、と答える。

でもそこらへんは、マイルス・デイヴィス(でも何でもいいけど)の演奏が歌みたいなもん、という感覚と相互に行き来していて、境界が曖昧だ。

人工音声だと、そのへん最初に「楽器ですからね」という割り切りから始まることになる。

昨日PerfumeのCDを買ってきたんですけども。声がボコーダ通したり機械的に聞こえる処理が施してあって、あんまり歌詞を覚えたりする気にならない。楽器化されているというか。そうすると、相対的にバックトラックに興味が湧く。

作り手にとって、初音某というのは一応ヴォーカルなんだけど、DTMのアンサンブルを聴かせるために機能してるよなぁと。

当たり前か。

追記

電子音を聞いて「こんなん音楽じゃねぇ」とか思う→「いやこっから音楽をつくりますよ」、という宣言がテクノなんだな、というのがおれの理解なんですけども、それを人の声に対しても適用しましたよと。音楽は完全に包囲された。抵抗は無意味だ。そういう勝利宣言みたいな感覚はあるかなーと。

将棋の話

ネットに動画を置くことに文句を言うのが、不粋に感じられる理由は、何だろうか。

ネットに置くことで、オリジナルの放送が想定していた到達範囲を超えてしまうことになる。

んーつまり気分的には無断リンク禁止ヘイトと同じことなのか。

(リンクのばあい、リソースを置いた時点で、潜在的には到達範囲がネット内∞に設定されてしまう=そのことに難癖をつけるのは筋違いという正論が常に成り立つので、違う問題ではあるのだけど。)

2007-10-19

以下のテキストは自由にカットアップ・リミックスしてお使いください

あ い う え お
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め よ
や ゆ よ
ら り る れ ろ
わ を ん

コピーと他人からの学習による発展

生煮え。

コピーと他人からの学習だけでなにごとか傑作が生まれる、という発想は、テクノロジの進歩みたいな外的要因がパラダイムを変えていくことが前提になってるのじゃないかしら。

外的要因が力を行使しつづけるところでは、同じところをぐるぐる繰り返し回ってても、ξ↑状に進歩してることになるとか。それは言い過ぎか。

んーいや、何にしたってそのものごとの「中」だけでは進歩というのはないし、で、よくわからん。

緊張感

まず定義としてg:fragments:keyword:mtx::マイナス辞書を参照。

人に緊張感を要求する人は、精神論の人か、相手の行為を審判する立場に立ちたい人だと考えることにしている。

昨日外にいるとき「あれ、梅田もちおって、望夫じゃなくて望男って書くのじゃなかったっけ…?」と不安になった。「ひっぱたきたい*1」などと、ネタに引っ張り出しておきながら、しかもh3要素で名前を間違うとはなんたる無礼。そういうふうに思った。

地の文ならまだしもh3で…と思ったわけだが、ここには明らかにgoogle信仰がある。

家に戻るまでの数時間の不安というのも、考えてみれば、あまり意味がないことかも知れない。

ちょっと書いたことまでgoogleがクロールして行ってしまう(嘘が広がってしまう)という不安。トラックバックされたりブックマークされて「その時点でこう書いていた」ことになってしまう不安。

しかしそれらは、開き直るなら「そっちが勝手にクロールしたりブックマークしたりしてるだけ」。

こういう言い方をすると「議論にならん」と言われるのか。その場その場のローカルな議論を成立させる努力は、そりゃしたほうがいいですよ。しかしそれは誠意の問題だし、ひとくくりにしていえば、「敬語つかえ」とか「挨拶しろ」みたいな、二者間のやりとりを潤滑にすすめるための作法でしょう。

いぜんから自分はこの、どっからともなく前提される第三者のことを「読者様」という書き方をしてるんだけど、そんな仮想の第三者に対して必要以上の緊張を強いられる義理はない。

…これを技術ばなしと絡めるとややこしくなりそうなので、とりあえず一般論だけ書いた。

2007-10-18

「お前もう正規表現のこと書くなよ」

webの自律性を信じているんならあんまりそういう言葉は出てこないんじゃないかと思った。

間違いを書くかもしれないし、書かないかも知れない。そういうことは保証できないから、間違ったら直す。直さない人は「そういう人なんだ」って思われていく。

仮にチャラいコード片だったとして、それが反面教師になったりすることもあるだろうし…いやそういう話をしだすと話が逸れるな。

まぁ、職業倫理や、偉い人の責任あたりから、「書くなよ」と言ってみるのはわかるんだけど、それで直らないかも知れないし、そういうときはチャラいコードと共存していくしかないんじゃないの。そう考えると、「書くなよ」というのは政治的な色合いを帯びてくるよなぁ。言っても言わなくても結果は大差ないのに言ってみてる、というポーズになる。

あと、「書くなよ」って言われたら、言われた方は

はい書きません。勉強させていただきます。つきましては勉強が済んで一通り正規表現を学んだと私が判断した暁には、私の能力で記事を書いてよいかどうか、そちらさまに問い合わせて許可をいただくことになりますが、よろしいでしょうか?

って返していいと思うんだけど(だって「書くな」ってその人に言われたままじゃ困るから)、そういうふうに返されたら、言った側は「オレが知るかそんなこと」って怒るんじゃないかな。

怒るなら、じゃぁ何で言ったのかということになる。それは、その人に正規表現の記事を一生書くなという命令だったのか。まじめに言葉尻を拾うと、「書くな」っていう命令は「書いていい」っていう許可と対になっているものだから、あなた少なくともそこまで責任を負うつもりで言ってるんですかね、という喧嘩のふっかけ方はある。

元の記事を見直した

「語らないほうがいいのでは」というニュアンスなので、ずいぶん自分が書いた感じと違った。

追記

  • 「結果的にだいたい正しい方向に修正されていく」を信じていない?
  • webという場所が誤りを書いて放置してよいという免責特権があるわけではないが、どんな人でもテキトーなことを書けてしまうのは事実。
  • そこを縛るのは、書き手の「緊張感」とかなんだろうか?
  • 「オレはこういう世界に育った(例:建築の世界、医療の世界、原子力工学の世界)。そこではミスが許されない。ソフトウェアエンジニアもミスが許されないはずだ!」で、その類推を可能にしている職業倫理とは何なのだろう? 相手に自分の職業倫理が通じるという信念はどこから生まれているのだろう?

「梅田望夫」をひっぱたきたい

ユーザがデスクトップで動画や音楽が作れてマスマーケットの果たす役割がほげほげ、という話を読むことが増えた。そりゃまぁ、今ある旧体制が、変化ぐらいはするかも知れない。

でも、完全に無くなるとか、これからはユーザが作ったものを見て刺激を与え合うとか、そういう言い回しを読むと、これはもう、煽りか、何かの立場を代表して言っているとしか思えない。

だいたい、ネタの供給源としてのマスがなかったら、どうやって人に通じるものを作ればいいんだ。

梅田さんが褒めそやすインターネット社会では、これまで社会制度によって制限されていたリソースに、ゼロ距離でアクセスできることから、知識の爆発がおきるものらしい。まぁ確かにそう。

しかしこういう主張を読んで出てくる感想は「そりゃ、あんたはいいよ」だ。

今まで積み上げてきた知識を爆発させればいいだけの人にとっては、これは素晴らしい世界だ。

しかし、インターネットを手にしているのが、小学生だったとき、同じ事ができるのか。何処で何をしたらいいか、途方に暮れてしまうと思うのだけど。

何のきっかけもなしにいきなり、ユーザ同士がバラバラにコミュニケートする世界に放り込まれて、どうやって自分の知識を蓄積させていけばいいのだろうか。

わたしはアニメをほとんど見ないので、ニコ動に上がっている動画が「何を元に」作ったものかわからないことが多い。小学生は、ネットに上げられている膨大な動画の全て(リミックス・自作・そうでないもの含めて)を、そういう感覚で見るんじゃないかと思う。そういうとき、誰が作ったか、元ネタがどこから来たのか、という関心は欠けていく。

テレビが見られなくなり、ユーザの作ったコンテンツ同士でマッシュアップが繰り返されるようになったとして、その循環の中で生まれた世代が、果たして自分もやってみようなんて思うのか。仮にやってみようと思ったときに何を手本にすればいいのか。ニコ動がお手本になってくれる? まさかねぇ。

もっと怖い想像をする。マスが供給に一役買ってきた文化的な共通の基盤が、「なかったこと」にされてしまうかも知れない。全てのリソースがゼロ距離=等距離にある状況では、文化的な発展、あーいや、それが大袈裟なら文化的なモードみたいなものが全く成立しない可能性がある。

仮に手本が見つかって欲望できたとしてだ。「こういう音楽を作りたいんですけど、どういうものを聴いて勉強すればいいですか?」と、先達に質問したとしよう。

返ってくるのは、良心的ながら無責任な答ばかりだ。「とりあえず**は聴いとけ」「**は神」。

そういうのは、相手がある程度、自分と同じリニアな発達をしてきていることを前提にしているから、可能なんだ。自分の歴史に照らし合わせて、自分の過去のある時点で影響を受けたものを挙げればいいだけだから。しかしその前提は崩壊しつつあるかも知れない。相手がどういう成長をしてきたか全く予想ができないときに「おすすめ」なんてできるのだろうか。

(この居心地の悪さは「おすすめ洋楽」や「おすすめミステリ」を教えてほしい、というネットでの質問において、今でも感じることができる。)

関連メモ

  • 「先輩」の崩壊
  • 野田昌宏の「死ね」発言
  • おすすめ洋楽教えてください

追記

なんかサブカルチャーとカルチャーを混同して書いているような気がするな。

追記2

今「**も知らない」人たちは、量的な知識が足りない「ゆとり」として扱われてるけど、それは問題を隠蔽してるだけかもしれないですね。中心のない世界で学んだ人の成長パスが、リニアな道筋を追って成長した自分から見て、全く想像もつかない(一人一人違う)から、「ゆとり」に見えるのかも知れない。

気がついたときには、誰とも言葉が通じなくなってるかもです。

追記3

ちゃんと書き切れてないけど、リミックスがダメで、オリジナルをどんどんつくればいい…ということではない。

成長のパスが不定になると、共通語彙が通じなくなるので、表現の様式が一気に退化するかも? という話。